テロから5年

忘れられないのは、1.17と9.11。あの信じられない事件からもう5年もたった気がしない。追悼行事やドキュメンタリーが放映されている。明日、はるりんのバースデーに向けて、チョコケーキを作るのに夢中になっていて、旦那とうちゃりが特集番組を寝室のTVで見たいたのをぜんぜん気がつかずにいて、番組を見逃してしまった。悔しい。うっちゃりなど目をまっかにしていた。若い世代の人たちには、こういった歴史的爪痕というものは、しっかり見ておいて欲しいし、もちろん自分も都度認識を新たにしなければと思う。テロで犠牲になった人数より、イラク派遣で亡くなった兵士の数の方がうわまわるとは・・・アメリカって一体・・・。巻き添えをくらった民間人はゆうにそれを超すらしい。この5年の間。アメリカは、犠牲者となった人の身元を確認するため残された体の一部からDNA鑑定をずっと続けてきているそうだ。ある日本人の息子さんはまだ指の一部分しか親元に帰ってきてきていないらしい。なんとも胸が詰まる。

めずらしく、バンビが「スマスマ」をみないと思ったら、はるりんが11時から「あいのり」を見だした。洗濯物をたたみながら一緒に見た。今回ラヴワゴンが走っているのは、ポーランド。そして、彼らが行き先を告げられないで連れて居こられたのは、アウシュビッツだった。ここで、ドキュメンタリー的な映像が紹介され、衝撃を受けた。

アンネの日記」は小学校の時に読んだけど、とても気持ちが落ち込んでしばらく食欲がでなかった。ナチがどんなことをしてきたのかというのは、文字でダイジェスト的には知識としてあったけれど、当時の現場写真を見たのは、このTV番組が初めてだった。「新しい生活を新天地で」との誘い言葉に全財産を1つの鞄に詰めてやってきた家族たちは、寒い中裸になり、温かいシャワーを浴びられるモノだと列をなして女子どもが順に並んだ。だが、シャワーがでてくるはずの天井から実際に出てきたのは、殺人ガスだったのだ。そして、すぐ横の部屋には、焼却炉があり、すぐ燃やされた。その時の裸で並んでいる写真。殺された後の人の裸体の山。そんな写真を見たのは初めてで、アウシュビッツ施設内の案内も初めてだった。燃やされる前に繊維になると切り取られた女の人の膨大な髪の山は、今も現地記念館で見られるみたいだ。広島の原爆記念館もまだ入る勇気がない私は、やっぱりアウシュビッツも見ておきたいけれど、中で気分が悪くなるような予感がする。

おととし、うっちゃりが、ドイツに連れて行ってもらったときも、「ダッハウ収容所を見せてもいいか?」とドラちゃんから打診があった。もちろん、お願いします。知っておいて欲しいことだから。と言ったけれど、果たして自分ひとりだと入る勇気がなかったかも。スケジュールの都合でダッハウ行きは結局なくなったのだけれど。美しい城はもちろんいいが、こういった見ておかなければならない史実もルートに入れてくれたドラちゃんには感謝。またのチャンスを狙いたい。
教科書には、載っていない(載せられない)歴史は日本にもまだまだ隠されてある。