中江藤樹を訪ねて

Chumi2006-10-29


MT会のイベントで、陽明学の祖 中江藤樹を学ぶ機会に恵まれ、滋賀県安曇川に行った。
研修会&藤樹書院など現地見学&ワークショップ&しゃもすき懇親会
いきしなのJRから「ものごとには、”陰と陽””正と負”など常に二元性が存在する」という日常における精神修行のディープな話に引き込まれ、研修会では怒濤の質問、さらにワークショップでもPDCAに基づく「良いことがわかっているのに、なぜやろうとしないのか?」の解明を始め、二者択一におけるANDとORの矛盾を解く考え方など、盛りだくさんで、もぅ頭爆発しそう〜。

刺身→水炊き→スキヤキと三度楽しめる「近江しゃもすき」の懇親会でも、「生まれ変わるとしたら、来世も今の連れ添いを選びますか?」とか「夫婦げんかが絶えないのは、来世も一緒だからです。毎世同じペアなのだ。」とか「もっと人間くさい部分の”キレる””悶絶する”中江藤樹を知りたかった。」とか、脂汗ものの会話が飛び交い あっと言う間に濃厚な時は流れ、お開きとなった。


さて、ここで、もう一度詳しく振り返ってみよう。
写真の「」は藤樹書院に掛けてあるもので、明らかにだんだんと右へフォントが大きくなっている。これを、書院を案内する地元ボランティアのおじさんは、こう解説してくれた。
「どちらから読んでも”ちりょうち”ですが、”良知”すなわち、良い行い・良いとされることは、実行して初めて良知となる。実践することが大切だと言う意味で”致”の文字が一番大きいのです。」
文字にして、チャート式。う〜ん。解り易い。
いろいろなお話しがあり、まだ自分の中で消化できていないので、お話しの中から、キーワードをここに記しておく、理解するには、まだまだ反芻しなければならない。

中国の農民 誤二が親を思う孝行心に天の神様が心をうたれ、天命を長らえたという逸話
研修会で習った「七つの徳の話」
人は生まれながらにして、「直き心=徳」を備えているが、日常にて、その徳を曇らせる下記のことがらが生じる。

  • 是非の素定(ぜひのそてい)・・・物事のよしあしを最初から決め付けてしまうクセ
  • 好悪の執滞(こうおのしったい)・・・自分の好き嫌いに執着しこだわるクセ
  • 満心(まんしん)・・・我こそが!というクセで、人を思いやる心が乏しい
  • 名利の欲(みょうりのよく)・・・世間の名声や物欲を求めるクセ
  • 形気の便利(けいきのべんり)・・・人よりも優れた才能や特技をもっているがゆえのクセ

身分差別なく、人が生まれながらにして持つ、霊長類の特徴ともいえる【明徳=太陽と月が並ぶほど明るい徳】にかかるこれらの黒雲を払うには、やはり藤樹先生の教え「五事を正す」という言葉がここで、生きてくる。

『考えてみれば、だれでもが解る「あたりまえ」のことです。でも、この「あたりまえ」のことが、なかなかできないのですね。』と苦笑いされる中江館長さんのお話は、とても穏やかで、しっくりと心に浸みた。


〜〜〜〜〜〜〜* 藤樹の里探訪 *〜〜〜〜〜〜〜〜
JR湖西線 安曇川駅を降りてすぐ、藤樹先生がお出迎え

ここで、早速「脱藩したのに帯刀しているのは、矛盾していないか?」の上級者向けの声が上がる。うは〜、こりゃ、私ついて行くの大変そう。

藤樹書院までへの道すがら、このような扇型の「藤樹先生のことば」がつづく。歩きながら、その言葉をかみしめる。

国道161交差点、藤樹神社口。交差点には、近江聖人 中江藤樹 生誕の地「こころの教育推進のまち」あどがわ と大きく書かれている。そしてその北側には、道の駅「藤樹の里あどがわ」がみえてきた。屋根には特産物の扇型のモチーフが、中江藤樹のイメージ色 藤色で彩られている。

記念館にたどり着く一歩手間に突然中国が出現。中国の庭園をそのまま移築したといわれる陽明園だ。

藤樹書院は、中江藤樹が実際に住んでいた実家に建てられ、今も全国から訪れる人が後を絶たないという。

キリスト文字で切り抜かれた「知良致」。何故にキリスト文字?と質問すると、中江藤樹は、キリスト教的な考えがあったと説明を受ける。15へぇ〜。

館内にはさまざまな貴重な資料が展示されている。銅像の向こうにあるのは、400年前の綿入れの正装着物で藤樹先生の愛用品。

美しく切り抜かれた下がり藤は中江藤樹の家紋らしいが、ほかに回り藤も用いられたという。

庭に出てみれば、「藤樹」とよばれるようになった由縁の藤棚が今もなお現存している。

由緒(いわれ)のある石
この石は、藤樹先生がもっとも大切にされていた石で、先生自身が心に迷いが生じたり、悲しみ、怒りの心が生じたとき、静かにこの石に水をかけて、心を正していたといわれ、そのため、この石には、子どもや身分の低いしもべでも決して腰をおろしたり、足でふみつけるということはなかったといわれているそうだ。
幼き頃より、「良くできた賢人」としていわれ、今や「聖人」とよばれるようになった藤樹先生であるが、この説明書きを読み、人間 中江藤樹を垣間見た気がした。



〜〜* ワークショップで印象に残った言葉 *〜〜

【理解と行動について PDCA

  • 失敗をおそれるから、実行できない
  • やる気が起きてきてから行動するなんてナンセンスだ。行動を起こせば、やる気が出てきて継続できる。
  • 目標値を持っている人は、継続できる。その目標値は、量的なものから質的へ移行するのが望ましい。

陽明学について】

  • 事上磨錬・・・苦しいことがあっても、それは、天が与えた試練。どう考えるかにより、気持ちが変わる。
  • マズローの経営論より、利己=利他である。自分のやりたい行動が、そのまま(他)人の世界になる。
  • 心即理・・・自愛する=利己をする→利他につながる
  • 万物一体の仁・・・人間のもつ良知は万物一体の「仁」の心、天ともなり、二人ともなる「仁」の字は「思いやり」を示す。
  • 知行合一・・・二元性のものである「知」と「行」。しかし、真の知と真の行いはひとつのものであるということ。知識をつけることは、行動することの始まりであり、行動することは、つけた知識を完成させることである。行なわなければ、知っているとは言えない
  • 世の中の二元性のものは、「中庸」でとらえる。
  • 矛盾したものを解決するのは「妥協」。盾も矛も両方使わないとダメ。
  • そこで大切になってくるのが「ANDの発想」。「ORの発想」はダメ。(ex.)家庭か仕事かの選択

そして・・・「陰極まれば、陽に転ず
講義してくださった先生は、高校生の時、人のあり方に悩み、その時陽明学と出会い、道が開け、今の自分があるとおっしゃる。陽明学は、悩んだことのあるひとは、響くモノがあるが、そうでない人は、「そんなのあたりまえだ。」「わかりきったことだ。」と思う内容だと表現された。
自分の魂のあり方を深遠なるところにまで求める人には、きっとストンと心に落ちる・・・そんな気がした。

とにかく皆さんメンバーどの方も、知的好奇心の強い&知的レベルの高い方ばかりで、お話しを聞いていて、ものすごく面白い。幾つになっても少年のような瞳の輝きを持つ方々は魅力的だ。一緒に学ばせていただく機会に恵まれ、幸せな1日だった。