ニギハヤヒって誰??

私に関わりのある石上神宮や、尼ケ辻を近鉄電車でスルーするとき見かけた大きな前方後円墳についてしらべていたら、だんだんと面白い事がわかってきた。
尼ケ辻にあるのは、11代垂仁天皇陵であり、殉死をやめ埴輪をとりいれ、灌漑をすすめ農業を盛んにし、、喋れなかった息子の呪いがとけ、出雲大社を造り、倭姫命天照大神の祭祀を任せ伊勢神宮が起源、田道間守に常世国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めさせ、「右近の橘」の起源となり、石上神宮に剣千振を奉納するなど、数々の事を成しとけた天皇である事がわかった。紀元前の話である。ふる〜。

そして、石上神宮大神神社は、出雲系の神社であり、神武東征より以前に、出雲よりきたる人物(マレビト=異郷の人)が三輪山山麓で先進の農耕技術(父の出身は朝鮮)を伝え、民をまとめ 日本(ひのもと)という国をつくり栄えさせた伝説がある事がわかった。

  • 石上神宮は深淵なる雰囲気でこっそり、ひっそりとしていた。橿原神宮は非常に立派な境内であるが、お参りの人はまばら、平安神宮の比ではない人の少なさは意外だった。ところが、大神神社には、人が溢れていてこれも意外だった。ロスゴリ風の黒い服をきた女の子が手を合わせ一心不乱に祈願している姿にびびった。たまごが沢山お供えしてあったのも私には、異様に映った(神は巳として姿現しをするから、好物の卵なんだそうだ)。大神神社の信仰の深さと広さを感じた。(拝殿を案内してもらっているとき、なんども体右側が不思議にぞくぞくした)

その方は、三輪山に奉られている大物主命であり、スサノオの息子大歳(オオトシ)であり、スサノオより10種神宝(鏡2玉4剣1比礼3---後に物部氏が呪術につかう)を持たされ近畿以東をおさめる事を命じられた。蒙名はフルであるらしい。(石上神宮は”布留--ふる”という地名にある)さらに後にニギハヤヒとなのっているとか。このニギハヤヒについては結構謎が多いらしい。
石上神宮に奉られてある 布留御魂大神とは、実は、フル=大歳=大物主=ニギハヤヒであるというのだ。ぶったまげ。出雲4代を祀っているというのだ。
全国に奉られている天照国照彦天火明櫛玉饒速日命 (あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)、天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、天火明命(あめのほあかり)、天照大神は皆同じ ニギハヤヒを示すという。

さらに、目から鱗であったのが、アマテラス=卑弥呼 説である。
これについては、以前より 九州邪馬台国説と 畿内邪馬台国説があるが、天津神国津神出雲族日向族の興亡と東征、スサノオニギハヤヒ隠滅の記紀編集などなど諸説が入り乱れて頭が混乱する。

倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)が卑弥呼であったのか、天津神であり、日向のムカツヒメが卑弥呼であったのか、やっぱり謎だけれど、その後ろには確実にスサノオニギハヤヒというの大きな存在があったのを感じる。

ニギハヤヒは、冬至三輪山から登る日の出をみるのが好きだった。前方後円墳は、三輪山から登る太陽を現している、三輪山の三角は当時栄えたヒノモトを現すモチーフであり、それが三角縁神獣鏡となった。ニギハヤヒを敬い信仰する豪族・王の墓ーー古墳に三角縁神獣鏡はなくてはならないものとなったとか、。。。。でたーーーーサンカク!!


出雲大社が55年ぶりに遷宮する。その特別拝観があり、それに行くと旦那が言いだした。

いよいよ出雲に呼ばれたようだ。

出雲大社といえば、もちろん大国主命であるが、大国主命スサノオの娘婿でありスサノオの跡目を継いだとされる説がある。つまり出雲を栄えさせたのは、スサノオであり、本殿の真後ろにあるのは、素盞嗚尊を祀る摂社だそうだ。大国主命(西向きにまつられてるってのは ホント? 普段は入れない禁足地だからわからないよね)を拝んでいるようで、実は素盞嗚尊(ど真ん中、真後ろ、北向き)を拝んでいるという説があり、興味深い。

すべては、推理の世界である。


*新たに確証を深めるwebサイトを発見したので 追記します
http://www1.kcn.ne.jp/~kikujo/18.html