メルマガに導かれて

人間力・仕事力が確実にアップする致知出版社のメルマガ」と「安岡正篤一日一言 〜心に響く366の寸言〜」という致知関連のメルマガを2種類受信している。きっちり読んでいるわけではないが、ハッとさせられることが度々ある。

今日のタイトルは、 『致知』で出逢ったいい話 vol.3/『おくりびと』のモデルが持ち歩く一枚の写真 であった。
先日 おくりびと をDVDで見て感動したので メルマガを開くと、おくりびとの映画化の発端となった書籍があることが解った。モックんがそれを読んでいたく感動し、映画化したいと思ったようだ。
しかし、映画のエンドロールには、原作のクレジットは無く、原作者の広報も行われていなかったのは、映画するにあたり、撮影のロケ地が違ったり、原作にある宗教色が表現されていなかったので、原作者が受け入れず まったく違うモノとしてなら映画化してもよいといういきさつがあったらしい。

映画のモチーフとなったのは、「納棺夫日記」。実体験を書かれた青木新門さんと境野勝悟さんの対談が抜粋されてメルマガに紹介してあった。出典は2008年4月号。既に完売らしい。興味深い内容だったので対談全文を読んでみたくなり、蔵書バックナンバーをまさぐると見つかった。いつもすぐ手に取れるようにバックナンバーは事務所のデスク付近に置いてある。
4月と言えば、繁忙期なので、この号は読みそびれていた。中を開いて驚いた。興味を引くものが目白押しだったのだ。
以前講演をきいて感動した鵜川一宇氏のインタビューや(読みかえしてキングパンのくだり、講演の感動が甦った)、硫黄島から奇跡の生還をした元通信兵の秋草鶴次氏の「我が硫黄島戦記」(映画以上の壮絶だった現場)、鈴木秀子さんと虹の村診療所所長の小林正信氏の対談をむさぼり読んでしまった。
鈴木秀子さんの言葉で印象に残るものがあったので、ここに覚え書きとして引用させていただく。

小林氏:
自分は仮面をかぶっていると気づき、いままで自分と思っていたもの、それが実は、実体のないものだって分った時、発病の危機に陥るのです。私の場合は、幸いにも読書に求めたり文章を書いて考えたりという拠り所がありましたから、なんとか首の皮一枚で繋がっている状態でした。
ユングの自伝を読んでいたく感動した。
普通の内観が「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」を振り返るに対し、内省は、「お詫びをすること」「感謝をすること」「学ぶこと」をみていく。


鈴木氏:
子どもの頃と違って大人になると周りの評価に動かされない自分を作り上げねばなりません。親に頼らず一人で生きることで自分自身の中に尊い自分が存在することに気づくようになります。
私たちが親を受け入れられないのは、自分の嫌な部分を親に投影させながらみているからです。だから究極的に目指すのは、しっかり自立をして自分を受け入れられる人間になること。そうすれば、自然と親を受け入れられるようになるのではないでしょうか。
苦しみのない人生はありませんが、苦しみがないのが幸せでなく、起こってくることに意味を感じながら受け止め、笑って死んで行ける生き方が大事なのではないでしょうか。

納棺夫日記」は 是非読んでみたい。

それにしても、致知は私にとって 氣づき で一杯の雑誌であると改めて思う。