メダカきたる

バンビーノから電話がかかってきた。キャンセルしたはずの銀行キャンペーン「メダカプレゼント」が「ご用意できておりますので引き取りに来て下さい」って、電話があったよ。
数日前に義母が銀行にいった際、そのキャンペーンに申し込んできた。そして私にこういった。「孫のためにめだかを申し込んできたからね。抽選だから当たるかどうかわからないけれど。」彼女はかねてからメダカを飼いたがっていた。ところがこの夏手術で入院するために今この時期に飼育するのは難しい。
メダカが欲しいのは、彼女であって 私の息子ではない。「○○のために」と孫を出汁にして彼女に飼育の責任がかからないようにしむけるのは いつもの手だ。実際 小学生の息子は 塾だのスイミングだの学童キャンプだの彼本人のスケジュールがきつきつで動いているのでメダカの飼育どころではない。彼の為であるなら これ以上負担を掛けないでやって欲しい。本人が強く願望していれば別の話であるが。
今までの積み重ねもあって 辛抱してきた私もいい加減ココでぶち切れた。「孫の為って、彼は自分で希望しているのですか? 彼の意向を聞いてやったのですか!!」
するとこうだ。「それならキャンセルするから」
私は何もキャンセルしてくれと言っているのではない。本人の意向も聞かずに自分が興味があるから、自分がやりたいからと 勝手に物事を決定しないで欲しいだけだ。そして、ソレを押しつけるなよ。自分の好きなモノは他の人が好きとは限らないんだ。自分のやりたいことが他の人もやりたい事とは必ずしも一致しないことなんだといい加減悟れよ。なんだって、いつでもそうだ。自分がやりたいことが一番でその理由は○○の為と自分を前面に出さずに人のせいにするのだ。

うまく理由を付けたつもりで居るだろうが腹の中は こっちはお見通しなんだ。すこし孫に世話をさせてから「それ頂戴」といつも横取りする。良いところだけ、楽しいところだけ取り上げてしまう。他人の気持ちはお構いなしだ。どうしてそんなにいつまでも子どもなんだ。そんなことをしたら、一生懸命世話をしてきてかわいがってきた息子の気持ちはどうなるんだ?そこまで考えて「孫のため」と言ってるつもりか? そんなわけないよ。いつも自分の気持ちが一番だもんな。
どうしてもっと素直になれない!「メダカを飼いたいのだけれど 入院中世話ができないからその間してもらえないだろうか?」と。かわいくないことこの上ない。
「○○のため」と大義名分を立てて「してやってる」恩着せがましさはもう沢山。ありがた迷惑だ。魂胆見え見えなんだよ。○○のためとは単にてめーの自己満足じゃないか。いままでこんなことを山ほど繰り返して、自分は「してやってる」つもりかしらないが、自分で自分の人間性と信頼を失っていることにまだ気が付かないのか。

というわけで愚痴をいいだすと原稿用紙300枚くらいは書けるだろうから、くだらんことはこの辺にしておいてと。まぁ 前劇としてかようなメダカ事件があったわけで・・・

それでキャンセルになったはずのメダカが どうしたことが キャンセルになっていなかった。そこで 以前から自室にアクアリウムを築きたいと狙っていたバンビーノが「僕飼いたい」と申し出た。
よくできたよい息子じゃ。かれは 石も好きだが、生き物も好きだ。
これで、水面下の私の煮えたぎった気持ちはさておき 結果オーライ水面上は まるく収まるじゃないか。即、賛成したよ。

貰ってきた小さな飼育箱にメダカ8匹が元気に泳いでいた。が、飼育箱が小さすぎる。夕飯後 旦那とバンビーノと私でアクアショップに水槽・砂・ポンプ・餌を買いに行った。めだかを飼育し増えれば、みごとババ行き。絶滅すれば、その後、念願の熱帯魚を飼いたいと目論んでいるバンビーノの胸中もお見通しである。 

この日、めでたくメダカ8匹 家族となった。