体得したもののすごさ

Chumi2004-10-10


昨日 湖北へ着くなり旦那は簡易サーバーを作動(写真)、生樽はこの前置き去りにしてきたものがある。先日「きつね坂を偲ぶ会」で通常のサーバーを持って行くのは重量的に大変だと思った旦那はキャンプ用の発泡スチロールにサーバーの内蔵を入れ、キャンプ用に使っていた食器用バスケットにサーバーの口を仕込んだ。発泡スチロールのボックスに冷媒(氷)を入れて内蔵を冷やせば、通常のサーバーと原理は同じで樽・二酸化炭素ボンベから調合された生ビールが”デリ旨”の温度で飲めるいうわけだ。バスケットからでているサーバーの口がなんとも不思議で笑いを誘う。でもビールは、うまーっ! なんだよね。

今日は朝から テニス教室へ。このテニス教室、父母が暮らす自治会で結成されているのだが、会長さんが昔やったなんとかでテニスコートを開設。そしてテニスクラブまで作っちゃった。年会費2000円でいつでもプレイできる。
教えて貰えて、自由な時間にはタダでプレイできるということで私は入会した。
教室は水・日の9時から12時まで。
コーチは、会長さんである。推定年齢は70歳。70歳で教室のコーチである。もうひとり退職し、ここで暮らす方もコーチである。そのご年配のコーチに私は教えて貰っているのだ。
ご高齢と侮る事なかれ、そのパワーがすごい。来るボールはPTAで普段やっている誰よりも強いし、練習で球出しして下さるときの長さと言ったら!もうこちらは 足がふらふらでひざがくがくになって、こころのなかで「お願い! もうこのへんで”じゃ、ラストいきます”って言って〜〜!」と思い始めても なんのなんの延々とつづく、これが私一人じゃなくて何人もしてくださるのだ。
フォームのチェックも厳しい。非常に熱心だ。今これだけ厳しいんだから、若いときは体育会系でどれだけのことをしてきたのだろうか?想像を絶する。
この推定年齢70歳のコーチに、私は「反応が遅い!」と言われる始末。
「フォアの時、二度引きしている。もう一度うしろにテイクバックないで!」
「手は腰に近くして 踏み込んで打つ!」
「ボレーはもっと鋭く。一歩踏み込んで!」
「サーブ時もっと腕の関節を柔らかく」
「自分のボールの行方に見とれてないで、もっと直ぐ構えて。」
「バックの構えが、おそーい」
「試合の時は、こんなイイボールは行かないぞ」
鬼じゃっちゃんコーチである。
これが9時から12時までの3時間みっちり続くのである。
この鬼じっちゃんコーチ レッスンが厳しいだけではない。自らは、練習日の40分前にはコートに入り、水タンクのローラーを一人で引きコート整備をする。メンバーが9時前に集合したときには、コートはいつでも打てる状態に整備されているのだ。このローラーがまた重いのだ。私一人ではなかなか引けない代物である。ただもう頭が下がるばかりだ。
このテニスクラブには、このような”かつてテニスをしていた、または、してきた”猛者のような50〜70歳の男性の方数名おられるが、どなたの体力も腕も私より数倍上だ。

クラブが出来た今年から「まさか、こんな歳でテニスを始めるとは思わなかった」という57歳のご婦人もおられる。今ようやくボールがラケットにあたり、リターン出来るようになった腕前である。57歳から「テニスをやってみたい」というだけあって、あの鬼コーチにがっちり付いてきている。みかけはムーミンのガールフレンド ノンノンのようだが、その根性はすばらしい。まったく打てなかった彼女は、孫の産休を挟んでこの3ヶ月にかなり上達した。なにより腰が軽い。ノンノンの体系にもかかわらずだ。人はみかけで判断しちゃイケナイ。ボール拾いもさっさとしてしまう。きっと家事もこのように切り盛りして居るんだろうなと想像する。
そして、もう1名「初めてします」といった中学の双子の長男と小4の三男ともに始められたお母さんも居る。
この二人とうちの夫婦と今日初めて試合をした。もちろん二人は初めてする試合なので、私たち二人は別れて闘ったのだが。これがまた、お笑い泥試合であった。2-1で迎えた4ゲーム目 Duce が延々と続いた。コーチ達はやんややんやの大喝采だ。
サーブは私。もうしまいに腕をあげるのがだるくなるくらいのDuce合戦だった。いつ終わるんだろう?とおもったくらい。だが、必ず終わりはやって来る。旦那のリターンを双子の母が初めてボレーを決める。旦那は慌てて 返すが惜しくもネット。
「まだ終わっちゃいないよ。4ゲーム先取だから」と鬼じっちゃんコーチ
「いや〜 もう堪能しました。勘弁して下さい。お待ちの方もいらっしゃるから〜」とギブアップ。
それから 先生達がダブルスを始めたんだが、見応えがあった。スピード 強さ フォメーション。すごいわ。恐れ入りました。
まだまだ青い私たち ぐわんばらなくっちゃね。