フサ逝く

5月11日午後10時5分 私が生まれた病院で母方の祖母が亡くなった。享年94歳。
老衰により嚥下ができなくなり先月24日あたりに入院したという知らせを受け29日仕事の帰り19時20分頃お見舞いに行ったときは、点滴・酸素吸入はしていたものの想像していたより元気で、笑顔でいっぱいおしゃべりしてくれて(ほとんど無音だったので何を言っているかぜんぜんわからなかったけど)力強く私の手をにぎりかえしてくれた。その後5日に娘ともう一度見舞いに行こうと思っていたが、母から見舞いのお礼の電話があり、二人部屋に移り状態が回復しているから そんなに詰めていかなくていいと言われ今週末あたりに延期することにしたのだった。
よくなってきたのだと信じていたから今朝訃報のFAXを受けたときは信じられなかった。11日になって急に血圧が下がったらしく父母が走って間に合ったことを弟の嫁からきいた。今まで大きな病気をしたことがないというとても健康な人で初めての入院だったから、点滴や注射を嫌がり、看護婦さんを困らせていたらしい。
地下鉄の終着駅で妹が待っていてくれて式場へ。19時から通夜が営まれ、久しぶりに叔父や叔母、そして従兄弟たちにあう。母方の親戚とあう機会は少ないから、従兄弟とは小さい頃に遊んだ記憶しかなく、思春期頃からさっぱり会わなくなり、今日であっても誰が誰か全然わからなかった。
ティーホールでの通夜であったが、お坊さんはいつも月まいりにきてくださっているかたで、お経がおわると祖母との生前の思い出を語ってくれて、皆で声を合わせて「なむあみだぶつ」を唱えるなど、とても心あたたまるよいお通夜だった。
戦中戦後を生き抜いてきた大正元年10月生まれの祖母は「紫」という字がすきで、戒名にその字をいれてくれるよう生前からオッサン(こちらでは和尚様のことをこう呼ぶ。”オ”にアクセント)にお願いしていたそうだ。毎日のおつとめも熱心にする浄土宗の信者で行をして得度を受けたらしい。
オッサンが祖母が危ないとの知らせを受け寺で枕経(?)をあげていると10時前に ドーンと地震のような大きな音がしたそうだ。あれ?変だな?と思っていたら 訃報の知らせが入った。そして もう一度お経をあげなおし ひきあげようとしたとき再びまたドーンと不思議な音が響いたらしい。「ええな、オッサン。”紫”やで 入れといてや たのむで」というメッセージだったとオッサンは受け取ったらしい。「念押しされましたゎ」と 皆のしんみりした雰囲気を和ませてくれた。
おばあちゃん、100歳を祝ってあげられなくて残念だったよ。でも最後に見た笑顔は忘れないよ。私のこといつも可愛がってくれてありがとう。今世での長いたましいの修業、お疲れ様でした。安らかに還って天国でも、またあのお喋りをつづけてください。ご冥福をお祈りします。