一国の文明はその母の文明に本づくんだと

安岡正篤の一日一言というMMをとっている。今日 予想通りの内容が配信された。
母っていうのは、責任重大なんだな。


ちょっくら 引用させていただきます。

【母】

明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、
又教育家文学者として典型的な君子人、
中村敬宇(けいう)に「母」と題する名文がある。

「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、
子を教うるは何才を以て始めと為すかと。
牧師對(こた)えて曰く、
汝の笑顔の光、小児を照せしより、
子を教うるの機會始まると、
鳴呼、世、固(もと)より此の母の機會を失う如き者多し。

今世の人、口を開けば聊ち文明と曰い、
而してその本原に昧(くら)し、余嘗って謂う、
国政は家訓にもとづき、家訓の善悪は則ち、
その母にかかわる。
母の心情、意見、教法、礼儀は
其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。
斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを。」


     書籍『安岡正篤 一日一言』(致知出版社刊)より
     転載しております。
     http://www.chichi.co.jp/books//735.html

「汝の笑顔の光」ね・・・・・「汝の眉間の皺」の私には、はなはだ眩しいお言葉だわ。




毎日配信されるので、毎日きっちり読んでいる訳ではないが、ときおりハッとさせられることがある。
先日も 学問の目的 というタイトルで配信された内容に、唸ったばかりだった。


学問というものは
決して出世や生活のための手段ではない。
窮して悲鳴をあげたり、
心配事のために直ぐぺしゃんこになるようでは学とは言えない。
何が禍であり何が福であるか、
如何に始まり如何に終るか、
ということを知って惑わざるが為である。


四十にして惑わずというが、四十を超えても惑うことばかり、心配事のために日々ぺしゃんこになってしまう私は、まだまだ【学】んでいないのだと思い知った。