命の儚さと尊さ

Chumi2007-08-10


今月の下旬に一族をあげての法事があるので、旦那の2つあるお念珠をそれぞれ息子たちに譲り、旦那用にお念珠を新調する事にした。せっかくなら、一般的な物じゃなく、ちゃんと宗派に合った物をと門前の仏具店に求めに行くと、星月菩提樹が品切れで誂えとなった。石は、印度翡翠にしてもらった。翡翠は招福、瑪瑙は愛と交友関係を高めるパワーがあるそうだ。そのお念珠ができあがったので、今日集金に回ったあとひきとりに行った。

昨日とんでもない訃報が入ってきた。お得意様のご子息が40歳にも満たないのに亡くなられた。なんで?どうして? 急性心筋梗塞だと言われても、突然死もありうるそうゆう病気だとわかっていても なんで? どうして?が心の中でリフレインされる。彼とは、ほんの数日前電話でお話ししたばかり。まだ耳に声が残っているくらい。信じられない。お念珠が出来た日にお通夜か と思うと暗くなったが、キリスト教であった。
その前夜式が今夜営まれた。献花を捧げるとき祭壇の横に生前の生い立ちの写真が並べられていた。ご縁は、本業のみならず、自社HPのメンテナンスに関して、PC操作がわからないので教えてほしいと依頼を受け、作成ソフトをご紹介し、HPの成り立ちからアップロードの方法まで説明に伺ったこともあった。一生懸命精進していらっしゃったのに残念でならない。なぜ?どうして?と命の儚さに戸惑うばかり。一人息子と跡取りを一度に失われた社長様の悲しみの深さを思うとやりきれない。まだ途中の仕事も沢山かかえていらしたのに、きっとご本人も途方にくれていらっしゃるのかもしれない。今後の仕事のなりゆきは、天から見守っていてください。ご冥福をお祈りします。

ヨーガの基本動作に「太陽礼拝」というのがある。DVDで、太陽礼拝を始める前に「自然の中で生かされていることに感謝して 行ってください」とナレーションが入る。
「生かされている」
その通りだと思う。