オリヲン座からの招待状

Chumi2007-10-24


読売新聞の試写会に応募したら、見事当選!昨日京都会館まで見にいってきた。

本を読んだとき、舞台が京都であるのも手伝って、魂を揺さぶられる感動を受けた。
映画化されると聞き、主演が宮沢りえと知ってからは、是非見に行こうと決めていた。
それが試写会にあたるとはなんたるラッキー。
果たして、仕事が忙しい周期であったが、仕事を終え、一目散に自転車をとばし無理をして行った甲斐があった。
偶然旦那も都合をつけてくれて、二人で見ることができてよかった。
原作でも泣かされたが、映画では何度も涙が頬をつたい、堪えるもんだから余計苦しくなって、原田芳雄の挨拶のシーン(本ではここで泣かされた)なんて嗚咽が漏れないようにするのが大変だったくらい。苦しいながらも、引き継ぎ守り抜いてきたものを終えるときの哀愁は、事業継承者にとっては感慨深く、こたえるものがある。
見慣れた京都の町並みや京都弁がスクリーン一杯に広がって、ストーリー自体が身近に感じられたからかも知れない。
千本通り・西陣はすぐそこだもの。
映画が終わり、場内が明るくなり始めるころ、鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をティッシュで拭おうとかばんをまさぐっていると、臨席の人が「ええ映画やったなぁ〜」としみじみとつぶやいたのが聞こえてきた。

留はんの守り抜いたものは、結局トヨだったんだな。トヨの最期の言葉が、映画の余韻と共にリフレインし、想いを噛みしめては、また後から瞳がうるんでやまなかった。
それにしても、宮沢りえは京都弁が上手い。微妙なイントネーションがけっこう難しいんだけど、違和感をかんじなかった。
純愛を描いたノスタルジックで大人の映画は、倦怠期を迎えたカップル(ウチか!)にいいかも。
11月3日からロードショー。
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私が、美しい余韻に浸っている間、旦那は、また違う余韻に浸っていたようだ。
今朝になって「何度思い返しても、もったいのーて仕方ない。なんや、体にもやもやと生ガスがたまってる気分や」と言うのだ。

  • 何が一体勿体無いのん?
  • そやかて、そやんけー。あんな別嬪目の前にして何もしーひんなんて。
  • そんなんしたら、世間の噂どおりになってしまうやん。おやっさんに義理立てて、辛抱して、トヨを尊重して守ったんや。
  • ええやんけ、別に。おかしいぞ。トヨかって寂しいやんけ。おやっさんが、かまへんゆーたはったゆうたらええんや。
  • そこを辛抱したからこそ、涙が出るんやんか。純愛なんやんか〜。トヨかって、それを確かめたくって、それで、最期の言葉が活きてくるんやん。
  • プラスチックラブかいっ。そこを辛抱しいひんかったら、また子孫繁栄したんやんけ。
  • お互いを尊重して暮らしてきた二人を見て、別れようとしていた夫婦がまた思い直すんやから、ちゃんと次につながってるにゃて。映画ではそこまで描かれてなかったけど。
  • わしやったら、あかんなー。納骨終わったら、そんなもん、ええのや。別嬪は映画館に付いてきたんや。
  • だから、違うって〜。映画館を守ったんじゃなくて、結局トヨはんを守ったんやて。あんたやったら、3ヶ月もたへんやろ?(笑)
  • わしやったら、3時間もたへんわ!(笑)
  • (苦笑)そやけど、りえちゃん、もうちょっとふっくらして欲しいなぁ。痛々しいほど細いやん。腕なんか、わたしの1/2やで〜。
  • あほやな、おまえは。前からみて半分ということは、立体的に見て1/4やんけ。ちょっと余ってるおまえの身やれや。
  • あげられるんやったら、なんぼでもあげたいわ!

どうもわてらは、しっとりとした雰囲気におさまらない。
観るひとが変われば、また余韻も違うようだ。