納棺夫日記

てなわけで、アマゾンさん 早速届けてくださり、昨日からむさぼるように読みました。今の私には、とても興味深い。

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

本部は3部構成と 出版後加筆された部分があり、内容的に変化に富みます。
1部は、納棺師になったいきさつと半生記
2部は、納棺の折に立ち会った様々な人の死 映画のモチーフとなったのは、この1部2部にあり。3部は宗教的哲学的でレベルがグンと上がります。が非常に興味深い。
3部は、光に導かれての「親鸞の教え」をふまえた「生と死」の悟り
後半部『納棺夫日記』を著して も読み応え有り。読者にどうとらえられたかとのやりとりがあり、ボーナス章。
「日記」とタイトルしてあるように、日々の記録のように淡々と日々の出来事に自己の考えがかかれてあり、よみやすい。また、人知れない職種のゆえ、私などには非常にその臨床が興味深い。
素晴らしいと思うのは、親鸞を分りやすく書かれているところと「ひかり」の解説。
この「ひかり」については、鈴木秀子さんが臨死体験されたときに見られたものと同じなんだろうなと思った。臨死体験されたかたや覚者は、この「ひかり」を体験されているとよく見聞きしているが、青木新門さんが臨死体験せずこれを感じることができたのは、人の死の臨床に数多く立ちあわれ、ある日 自信の持てなかった自分の職業に対して、闇の部分を払拭する出来事があったからなんだろう。
ひろさちやさんにも共通するフレーズもあったりして、通じているところは一つなんだなと思った。
「死」みつめ、「今をどう生きるか」について参考になった箇所は色々あるが1つだけ引用させていただく。

スピノザの言う神とは、宇宙の真理である。
親鸞の言う無上仏も宇宙の真理である。
しかし、それだけでは、単なる真理である。<信>が無い限り真実とはならない。
宇宙の真理をアミダと名づけ称名する時、真理は真実となり、称名は自我崩壊の響きとなって聞こえてくる。

3部を読んでいる途中に幾度も「般若心経」のフレーズが頭に流れてきたよ。もしかしたら、あの言葉がそうなのかもしれないってね。


この日、旦那は水遊びですだ。