独り時間の大切さ

今朝8時半には、旦那と旦那の両親は金沢に向かった。金沢の菩提寺に戒名の相談をしに行くという。
実家の両親はすでに自ら希望した法名をいただいていて、墓石には赤文字で、仏壇にも法名軸がかけてある。実家の両親は不可抗力な老化はしつつあるものの、心身共にピンピンシャンシャンである。メッチャ気が早い。まぁ、弟のよけいな手間を省いているといえば、そうなんだが。両親曰く「この先目指すのは ”ピンピンシャンシャンぽっくり”!」なんだそうである。

「死んだ後は、残された者に任せておけばよい。死ぬ先のことを案じるのは無意味だ」と仰っていた釈迦は、自分が死んだ後の戒名(宗派によっては法名)も希望の文字を入れて 買える時代を迎えようとは予想もしなかっただろう。
自分のことを考えても、死んでから名前を付けて頂けるなら、やはり自分の気に入った文字を入れて頂きたいと欲が出るのは否めない。
それに、弥勒菩薩が降臨したり イエスが復活する気配は、まだ微塵もない。



今日は、金沢能登行き同行は辞退し、独り時間を満喫させて頂いている。
ワーキングマザーが独り時間を持つことがいかに難しいか、そしてそれがどれほど大切なことかご理解頂けるだろうか?
「何にも縛られない自分だけのために使って良い時間」というものは、心も解放され、自分を見つめ直すのにとても貴重だ。

今回は、うっちゃりを家に置いてきた。もう親について来たくない年頃なのである。本人が一緒に行くのをいやがった。じゃぁ、私はどうすればいいの? 母親として家にいて、ご飯の支度をしてやるべき?とチクッと心に刺さった棘を抜いてくれたのは、娘だった。
「もう放っておけば?好きなようにさせてやったほうがいいんじゃない?」
てなことで、生活軍資金だけ置いてきた。背中を押してくれて ありがとうーよ、はるりん。
交際に忙しい娘は、連日深夜帰宅であった出勤がせっかく休日になったにもかかわらず、昨日の朝早くから潮干狩りに出掛けていった。(若いっていいわね)

家ではうっちゃりがひとり、疑似下宿体験中である。台所の流しだけは清潔にしておくようにとメールを打っておいた。
10時頃うっちゃりよりメールが入った。「洗濯って どーすんのん?」
ややっ、洗濯をする気になっている!
洗剤は「爽快」を使うように返信した。万一 干し忘れても臭くならないからね。
家族全部の洗濯物が干されていたらいいなぁ〜。いやいや過剰に期待するのはやめよう。自分の洗濯物だけでも上出来ではないか。帰宅してみれば、エントロピーが増大し、カオスの世界だった、なんて事になっていなければ、それでよし。

母も独り時間を大切に楽しみし、子も独り時間を満喫している。
と思っておこうっと。

私は、朝から まったりと1時間お風呂で読書を楽しんだ。半身浴と読書の一石二鳥。
その後、スーパードライを飲んでいたら 意味ないか。